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つーらんバァ

ばぁ茶んひなたぼっこ中。

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「トルコで私も考えた」

トルコへは10年前ぐらいにイスタンブールに行ったことがある。その旅の第一の目的はギリシャ人の友達のギリシャの家に遊びに行くことだった。彼女達と美しいエーゲ海で遊び倒し、あー、ギリシャは楽しかったのう〜、と思い、次にブルガリアへ。ブルガリアは、ただぼんやりしに行ったのだけど、街角でいくらでもぼんやりとし続けていられる落ち着きがあり、あまりにも気に入ったので、ずっとぼやあああんと黄昏れながら過ごして、満足満足であった。そんなホクホクした旅も終わりに近づき、日本へ帰国するために出国空港として選んでいたのがイスタンブールだった。

イスタンブールで私を待ち受けていたのは、とにもかくにも寄ってくる人人人・・・。町は喧噪でうるさいし、人はすり抜けようとしてもどんどん寄ってくるし・・・。今までのいい旅気分がどっと疲れに変わった瞬間でした。もちろん外国人に興味をもって寄ってくる人が多い国にはそれまでにもいろいろ行ったことがありましたが、イスタンブールの人のしつこさは他の比ではなかったので、それを求めて行った訳ではない私は、正直わりと消耗した。無事日本行きの飛行機に乗った後も「もうトルコには行かねぇ・・・。」と思い、ギリシャとブルガリアの思い出ばかりに長年浸っていた訳であった。

トルコで私も考えた (1)しかし、最近ふと手にしてちょっとづつ読み進めている「トルコで私も考えた」という漫画がある。以前に書いた「インド夫婦茶碗」が面白かったので、他の国際結婚した漫画家さんのものもよんでみたくなった、という理由なのでトルコについて何か読みたかった訳ではなかった。漫画のタイトルも今イチ「漫画なのか?」と思うようなどうも正直ぱっとしない(失礼)感じだったのでそれほど期待していなかったのだが、読み進めると、どんどんのめり込んじゃいました。漫画とはいえ、結構文字や説明が多いので読み応えもあるように思う。まだ3巻の始めにしか到達していないのでそこまでの感想なのですが、「国際結婚をした夫婦のラブラブぶり」という内容はほとんどなく、すべてのことがトルコ文化を知る上で正直な体験談として面白く書かれている。旅行者では知り得ないような近所付き合いや旦那さんの家族の話とか。

トルコで私も考えた (2)筆者はまず「トルコ人のボーイフレンド」から入った訳ではなく、まずトルコに住んで、トルコが好きになって、その後トルコのボーイフレンドができて結婚、という感じなので、もともとトルコをとても愛しているなーというのも感じられる。一見「これ、とりかたによっては悲観的にとらえてストレスになっちゃう人もいるのでは?」という事態も、楽天的というか前向きな愛情で受け止めているな、と感じる。かといって、その国に住んで間もない人にありがちな「いいところしか見えてない状態」では全くない。なので、彼女の物事の捉え方がなんか面白いというか共感できる部分があり、読んでいて気持ちいいです。

トルコで私も考えた (3)結構トルコ語がでてくるので、何巻か読み進めて行くうちに簡単なトルコ語の単語を思わずおぼえてしまったりします。なんだかずーっと興味がでなかったトルコに、「トルコって結構おもしろそう!」という感覚が自分にでてきてびっくり。この筆者のような目でトルコをみたらこんなにおもしろいのね!と。今度機会があったら、ゆっくりとトルコの地方でも旅してみたい気もする。今イランの美にも興味があるので、イラン→トルコ→シリアとか、そういうコースもいいかもしれないなぁ。
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ヨーロッパについて知らなかったこと

日曜日に選挙のために実家に帰ったので、地図帳を持って帰ってきた。今はネットで地図も見られるからわざわざ地図帳をもっていかなくてもいいか、と家を出るときに思った記憶があるが、やっぱり地図帳って見やすいし使いやすいかも。

そして「どこに行こうか悩むわっ」のエントリーでも書いたのだけど、韓国用事でヨーロッパまであしをのばそうと、ちょろっと考えているのでヨーロッパのページをまじまじと見てみました。自力でヨーロッパに行こうと思ったのは、ギリシャ人の友達を訪ねて10年前にギリシャにいってついでにブルガリアも見てきたぐらいで、あとヨーロッパに行ったのは自分の意思ではなかった。学校の用事とかトランジットとか。ちなみに私が行っていた日本の中学高校では夏休みの語学と文化研修みたいな名目で、15歳ぐらいのときにイギリス・フランス・イタリアに1ヶ月行くというのがあった。そのときも「パンチがたりねぇ」という印象で、ギリシャ人の友達がいなかったら今の今までヨーロッパには自分で行こうとは一度も思わなかったかもしれない。

ということで、ヨーロッパの地図をまじまじと見る、という必要性もなかったので今になって改めて見るといろんな発見をしてしまった。このブログに来る人はヨーロッパに詳しい方も多いと思うので、おもわず「ばぁちゃんって無知すぎ?」と思われるかもしれませんが、まぁ、きいてやっておくんなまし。

■緯度が高すぎる
日本地図をヨーロッパ地図の上にのせると、東京はヨーロッパでも南はもうほんと南の方と同じである。ええええー。ヨーロッパってこんなに北なんですか!!イタリアの南のシチリア島だって東京より北じゃん!東京都同じぐらいといえば、ギリシャのクレタ島レベル・・・。アフリカのアルジェだってチュニスだって東京より北ではないかっ。そういえば、ブルガリアに行ったのは9月の終わりか10月の頭だったが、ホテルで寒くて寝付けなかった覚えが・・・。そしてしかもヨーロッパではそれって南の方じゃん。これより北で人が生活しているなんて信じられない。そういえば南半球の最南端、アルゼンチンに行った時も南緯50度ぐらいだったが、fumiちゃんが住んでいるフィンランドなんか北緯65度じゃん!?ありえない・・・。しかも私がアルゼンチンのそこに行ったのはアルゼンチンの夏だったんだけど、それでも寒くて死ぬかと思ったぐらいで・・・。やばい、こんなに寒いなら冬にヨーロッパに行く何て、私には無謀かもしれない・・・。

■モナコとマルタは別
モナコもマルタも別々に今まで聞いたことがあるし、ちゃんと認知していたのだが、2つが一緒になって1つ存在していると思っていた。地中海にちいさな島があって、そこの名前を時にはモナコと認識していて、時にはマルタと認識していて、一つの場所だと思っていた。しかも私が思っていたその島は、マヨルカ島だった・・・。モナコでもマルタでもない・・・。

■スイスの首都
がベルンだった・・・。チューリッヒじゃないんですね・・・。スイスなんてよく知られた国なのにその国の首都も把握できていなかったなんて愕然。

■フィンランドとノルウェーの位置
これは今はもうクリアーになったんだけど、4年ぐらい前までスウェーデンを中心に、フィンランドが西、ノルウェーが東だと、強く信じ込んでいた(スウェーデンが真ん中というのはなぜかわかっていた)。そして、東から、ノルウェー・スウェーデンがあって、その中間にちょっと隙間(ボスニア海?)があって、北の方だけつながってちょっと離れて西にフィンランドがあると思っていた。この疑問はfimiちゃんに4年ぐらい前にあったときに「違うよ」と言われたんだけど、相当長い間どういうわけかそう信じ込んでいたので、後日地図をみても信じることができなかったぐらいショックだった・・・。fumiちゃんはノルウェーにもフィンランドにもすんだことがあるし、そういう人がいってるのに「絶対違う!!」と言い張った記憶がある・・・。未だに見ても「う〜ん、やっぱりフィンランドは東なのか〜」としみじみしてしまう。しかも、フィンランドが東側がロシアとくっついているって知らなかった!北欧って陸路でいけるんだねぇ〜。

いやー私ってヨーロッパにほんと関わってこなかったのね〜と、自分の無知さを実感。でもま、中南米・アフリカなどの地理はばりばり頭に入っていますけどねっ。ふふふん。

そしてちょっと疑問に思ったこと。

■「ノルウェー海」
ノルウェーとアイスランドの間の海は「ノルウェー海」となっている。ノルウェーはいいかもしれませんが、アイスランドでも「ノルウェー海」と呼んでいるのでしょうか?なにぶん、日本で「日本海」と呼んでいる海は韓国では「東海」と呼んでいたりするもので・・・。

■「フィンランド湾」
フィランドとエストニアの間のフィンランド湾は、エストニアでは一体・・・?

■「北海」
上記に似ていますが、イギリス、ベルギー、オランダ、ドイツ、デンマーク、ノルウェーなどに面している「北海」と書かれた海がありますが、どう考えてもノルウェーからみたら「北の海」ではない・・・。ノルウェーでも「北海」と呼ばれているのだろうか??イギリスにしてもどっちかというと東の海だし、デンマークにとっては西の海だと思うけど、そのあたりもどうなんでしょう・・・。

もっと見て行くともっといろいろ発見するのでしょうが、とりあえずこの辺で。地図はやっぱりおもしろいかも。

長い間、間違いに気づかない言葉

外でご飯を食べていたら、隣に男女2人組がいた。男性の方が上司で、女性の方が部下のようで、女性はただただ男性の話を聞いている状態である。男性の方も先輩面をしたいのか、ちょっと仕事に関することで語りモードに入っている。そして男は続けた。

「仕事はできるんだけど、他の部分でミスもよくする子がいたとするじゃん。でもやっぱりその子にしかできない仕事とかあるから、任せたいんだけど、やっぱりミスもしてくれるんだよな。そうすると、こっちは頼みたい、でもミスをする、という輪廻転生になっちゃうんだよな。」

えーっと、輪廻転生?もしかしてアナタ「悪循環」と言いたいのでしょうか?まあ、輪廻も循環と意味がにているけど、きっとこの人ずっと輪廻転生を勘違いして今まで使ってきているんだろうなぁ。と思う。そして部下もなにもつっこめていない状況がおかしくてたまらなかった。そしてまた男は「まぁ、俺さ、こんな偉そうなこと言っているけどさぁ、なんとかかんとか」と続けていた。え、偉そうなことというか、なんと言うか・・・。


でも私も人のことを言えない。一つ思い出した。
だいぶ昔、実家で料理をしていたときに母がある食材を取り出して「こーなめ、かけようか?」と言った。私は「こーなめ」が何かわからなかったので、母の手にしているものを覗き込んだ。そこには、白いパックにたくさんの小さくて白い魚がぎゅうぎゅうにつまっていた。パックの商品名には「小女子」とかかれていた。そこで私は母に一言。

私「ちょっと、お母さん、これシラスじゃん!何、こーなめって!!そんなの聞いたことないよ。小女子と書いてシラスって読むんだよ!」
母「そうなの?お母さんずーっと、こーなめだと思ってた。」

そのときの会話は、母がシラスを漢字でどう書くかしらなかった、という結論で終わって、長い年月が経った。


そして、最近まで私は「こうなご(小女子)」というものは「シラス」とは違うものだということに気づかなかった。どうやらシラスは鰯の稚魚で、小女子はイカナゴ科で違うものらしい(こちらのページの下の方で読めます)。でも長い年月、小女子とかいてシラスと思ってきたせいか、「えー、でも”こうなご”なんて普段聞かないじゃん?これって関東の人にはなじみが薄いんじゃない?」とか自分に言い訳してみたりしてしまいます・・・。

しかし、母の「こーなめ」と言うのも微妙・・・。女という字が入っているので、思わず「め」という音を入れたくなったのか?でも女という字は真ん中に入っているのだけどなぁ。しかも、あの会話の後も、母は自分を訂正する訳でもなく、いまだに「こーなめ、いる?」とか言っております・・・。すばらしい自由人っぷり。


きっとまだまだ気づいていないけど「長年信じているけど本当は間違っていること」ってあるんだろうなぁ〜。みなさんもそんな体験ありますか?

フランス語や数の数え方

連日ニュースをにぎわせている石原都知事の「フランス語は数を数えられない言語」発言うんぬんですが、このニュースを聞いたとき、フランス語の数に初めてふれたときの自分を思い出した。

「80を20x4とあらわすなんて、独特でその不思議感がステキ」

逆にその違いに興奮したものです。むしろ、80を20x4なんて、この時点で計算をしているような感じで、どっちかというと計算に役立つ?言語のようにさえ見方によっては見える。例えば、割り算を覚えたての小学生に80割る4は?と質問したら、日本の小学生よりフランスの小学生の方が回答が早いかもしれない!?なーんて。

石原都知事の発言で、「例えば91は20x4+11になってややこしい」と言っていたが、我らの日本語だって私たちが頭の中で「91」と短縮的に認識しているだけで、言語的には「9x10+1」である。そこまで大きな違いがある訳ではないのではないか?具体的な数字を表す数式をだすのではなく、「10進法と20進法の混在、そしてなぜか6や60という数字が最大になっている部分も入り込んでいるため、混乱する可能性がある」というふうに言った方が説得力があったかもしれませんな。(別に石原さんの発言を指示している訳ではありませんよ〜)

英語の数だって始めた触れたとき、「なんで12までは数の名前があるのに、いきなり13から○○ティーンになるのだ?どうせ○○ティーンにするなら11から、ワンティーン(11)、トゥテイーン(12)とすればすっきりするのに?」と思いませんでした?ダースという12進数的数え方もなんとなく「それってわかりやすいの?」と中学生ながらに私は思ったものです。あと、教科書にアメリカの硬貨とお札が確か載っていたのですが、「なんで硬貨に25セント硬貨とかあるんだろう?そんなにこれって必要かなぁ?」と思ったものです。

日本語だって、91を表すのには「9x10+1」なのだから、もし91を単に「9,1」と表す言語からみれば(例えばトンガ語はそうですな)、日本語はいちいちx10という表し方をしてまどろっこしいではないか。「きゅうじゅういち」じゃなくて「くいち」でいいじゃん、とか。実際の数字ではなく、x○○方式だと、ゼロが入るとわかりにくかったりもする。実際に子供のとき、「いちまんごじゅうえん、です」とか言われたら、15000ではないのはわかっても、メモるときにどうも10500や10005と間違えてしまいそうになった。なんで10050を例えば「いれれごれ」とか数字のまま表さないんだろう、と思ったものです。

x10が邪魔となれば、スペイン語の数に初めて触れたときに感じた「y」が入る違和感。「y」とは英語ではandで、日本語では「と」でしょうか。たとえば、91だったら、スペイン語では、
noventa y uno (ノヴェンタ イ ウノ 9x10 と 1)という言い方をします。
数を表す言葉なのに普通の文章でもつかう「y」という単語が入ってくるのが非常に不思議というか「必要なのか?」と思いました。別にyがなくても数字的にはわかるし、yがあることによって91という1つの数字を表すだけで3単語必要(noventa y uno)になってしまう。一続きにnoventaunoでもいいんじゃないか?その方が1つの単語になっていいのに!?でもまぁ、実際に発音してみると「y」は日本語の「イ」に似たような短い音ですので、長い数字を言うときはリズム的に間にはいると言いやすい単語だったというのもあるでしょうな。英語のようにandぐらい音が長いとこうはならなかったかも。日本の九九で「ににがし」じゃなくて「ににんがし」と「ん」を入れた方が調子がいいようなもんでしょうか。でもやっぱりわざわざそのために単語が3つになっちゃうのは、どうもしっくりこないかも?

そういえば、フランス語は、どうしてあんな具合の数体系になったのだろう?同じ系統と言われているラテン系の言葉はああいう数え方しないけどなぁ?昔戦国時代の日本では敵に盗み聞きされるのを防ぐために領土ごとに方言を深めたようである。もしかして、フランスもそんな危機的状況のために数字表現を変えた?などと思いを巡らせてみました。まぁ、その真相はわかりませんけど、どうやらバスク語は20進法で数を表す様子。バスク語が話されているのはスペインーフランス国境地帯で、バスクはとっても独立心の強い地域だったこともあり、なにかここで数の体系に変化が起きたのかもしれない?そしてそれがフランス語に影響した可能性があるかもしれませんね。その後、周りの国や言葉の10進法にも思わず影響されてしまって混ざってしまったとか?でもフランス語が最後が6や60という数字が起点になっているというのはなぜだろう?他のラテン系のスペイン語では、10の位は15までで16から切り替わるのにフランス語はどうして16までなのかな?(あとでこぶーたちゃんに教えてもらったのだけど、イタリア語はフランス語と同様16と17の境で切り替わるそうです)そして60までで一区切り(または50までで一区切り)という考え方はスペイン語やイタリア語にはない。こういうのを考えだすといろいろロマンが広がって楽しいですな。

納得いかない音の単語

タイトルちょっと大げさなのですが、なんでこの言語のこの単語が、この言語ではこんな呼ばれ方なんだろう!と違和感を持つことが時々あります。もちろん、外国語同士の中で単語は対応し切れないし、いろいろ幅もあるだろうけれども、どうも音的に、「なんかソレ納得いかない!」ということがたまにあります。

たとえば、スペイン語で「のど」は「ガルガンタ(Garganta)」です。
べつにそれでもいいんですけど、「えー、ガルガンタってあんた、のどってそんなにごっつい音のイメージないけどなぁ。でもうがいするときはガラガラ音を立てるから、まぁ納得してあげてもいいけどねぇ。」とか思ってしまいます。

そういえば、アルゼンチンでイグアスの滝に行ったとき、ガイドブックをみたら、イグアスの滝の中に、ひときわすさまじい瀑布があるようで、そこの名前はスペイン語でGarganta del Diablo(ガルガンタ デル ディアブロ)でした。意味は、日本語に訳すと「悪魔ののど」です。すさまじい滝が、ゴゴゴゴゴーっと音をとどろかせながら、下方に飲み込まれていきます。まさに、悪魔ののどのよう。おもわずそのすごさに足がすくみながらも、気になったことがひとつ。「地球の歩き方」をみると、ここは「悪魔ののどぶえ」という日本語の観光名所名になっているようでした。

なんでだ?スペイン語ではただ単に「のど」って言っているのに、なぜ急に「のどぶえ」になっちゃうのかなぁ?と思いながら、滝の前で考え込んでいました。

私がなぜ昔、スペイン語のガルガンタを「ごっつい音」と思ったかというと、やっぱり日本語で言う濁点がつく音が2つもあるからでしょう。で、「ガルガンタ デル ディアブロ」は・・・おおー、濁点が5つもついてる。これはごっつい。さすがこれだけのとどろきで悪魔ののどを感じさせる滝だけあるわ。という「納得感」があります。しかしこれを日本語にそのまま訳すと「アクマ ノ ノド」。あらー、一回しか濁点がでてこない・・・よ、弱そう!となってしまうかもしれません。そこで、「アクマ ノ ノドブエ」とすると、もうちょっとドドドドーガガガガーという貫禄?が感じられるかもしれないなぁ、と思ったりしました。はじめは、なんでスペイン語は「のどそのもの」に注目している名前なのに、なんで日本語訳で音にすりかえちゃうんだろうと思っていましたが、考えようによっては結構名訳だと思いました。

逆に、「そんなにきれいな音じゃないだろー」という単語は、ポルトガル語の子供という意味の「クリアンサ(criança)」。クリアンサってあんた、そんな透き通ってきれいなイメージある音を子供に使わなくていいだろー。子供ってそんなに無垢なだけなもんじゃないぜー。と思うのです。

そういえば、クリアンサで思い出しましたが、(以下シモネタですので、嫌いな方はご注意を)
女性器に「クリトリス」ってありますよね。あれは日本語でもクリトリスだと思うのですが、なんかこう透き通る音の中に神秘的なクリトリスのイメージ?が残っていて私としては「納得がいく」単語です。しかし、ヘブライ語でクリトリスってなんていうか知ってます?なんと答えは・・・




「ダグデガン」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。なんてごっついのだろう。かわいさのかけらも神秘さも感じられないのは気のせいでしょうか・・・。なんか納得いかない単語のひとつです・・・。

みなさんのなかでも「納得いかない音の単語」ってありますか??
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そのへんのオババ。
高校はメキシコ。
韓国や中国に仕事で在住。
その後東京へ舞い戻っております。
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2006年

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2007年
家族のほほえみ 臼井純子写真展

キイトス茶房様にて開催致しました。皆様のお陰で、無事に終了することが出来ました。本当に有り難うございました!!
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