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つーらんバァ

ばぁ茶んひなたぼっこ中。

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アルバニアの人々

「アルバニア」というと「アルバニア系テロ組織」とかそんなイメージが強かったりして、明るいイメージが少ないと思いますが、なんといっても人々が明るい!そしてひとなつっこい!町をあるこうものならどんどん話しかけてくるし、おばちゃんは肩をくんできて娘よ娘よといってくるし、とってもみんなあったかいです。

このおじさんは、私の中での典型的なアルバニアのおじさんのイメージ。全体的に黒で、顔のしわが深くて、黒いこんな帽子をかぶってさっそうと歩く。かっこい〜。



肉屋さん。ミッシュって、ボスニアではねずみのことだとMic'oさんに教えてもらいましたが、アルバニアでは肉屋さんのことみたい。(スペルはちがうでしょうけどね。)


カフェは老いも若きも男のたまり場ですよー。


ゲッツ。


「明日も雪かなぁ」
「うん、そうだね」


毛糸をつむぐおかあさん。


ロバとおじさん。


おじさん下の店をつつく。


りりしいおじさま


ハンバーガー屋のおねえさん。おしゃべりずきな人だったので、ずっとアルバニア語をいろいろおしえてもらいましたー。ファリミンデ〜リ!(←アルバニア語でありがとう)

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アルバニア

アルバニアでは「英語を話せるか?」じゃなくて「イタリア語を話せるか?」と言われる確率がかなり高いです。アドリア海のむこうからイタリア人がいっぱいやってきて「外国人と言えばイタリア人」って感じなのかなぁ。アルバニアは旧ユーゴの国ではなかったので、今までと雰囲気がかわったなーとちょっと思う。言語も、旧ユーゴのスラブ系さえ意外にスペイン語の耳で聞くと分かってしまうことが時々あったが、アルバニアではもっと高い確率でカンが働くような気がします。


小さな町にやってきました。


柿も売っています。


チーズを入れているバケツが微妙なのもご愛嬌。


闇両替地帯。立っている男性のほとんどが両替商です。


雑貨屋さん。雪なのに商品を外に出してあるのでべちょべちょですよー。


食べ物のかすはゴミ箱へ〜。


結構停電が続きます。トイレに入ると真っ暗なのでろうそくがおいてあること多し。


民家の軒先によく干してあるたまねぎ。


羊ちゃん。

さて、今日も漁にでるか。




(ただアルバニアは、かなり危険な地帯が多いのも事実です。私がいうことでもないですが、アルバニア入りを考えている方は外務省のアルバニアの安全情報をご確認ください。「地図1」をクリックして、北部だけではなくアルバニア全土にどのような勧告が出ているか必ずご確認くださいますよう、よろしくおねがいいたします。)


オフリド

マケドニアはオフリドへ行くにはローカルバスを利用しましたが、大きなバスに乗客は8人ぐらいだった。よし!このくらいなら煙がもくもくとなってもしのげるわ!とおもってバスに乗りこむと。ぐわあああああ。なんだこの匂いはぁあ!きみ達どのくらいシャワーを浴びていないのだね。乗客は若い青年が多かったのだけど、風呂に入っていない男のすさまじい匂いがバスの中に充満してますよー。しかもそんなことがしょっちゅうなのか、バスのカーテンやシートにも匂いが染み付いている気が・・・。そういえば、An-chanさんのうちに行く前、「なんか2日ぐらいお風呂に入れない状態で着いてしまったらすみません」とか一応断ったら(実際はそういう事態にはなりませんでしたが)、An-chanさんの旦那さんが「いやー、2日お風呂に入っていないだけなら、移動してくるバスの中で一番きれいだろうね」とジョークを言っていた、というのを思い出した。た、たしかにこの状態はまさにそうだー。世界中で「臭い事態」というのは結構経験済みですが、このバスはそのなかでもそうとうなレベル行っていました。タバコと違って、人のこと臭いなんていっちゃいけないけど、でもでもでもでも、うおウ。


オフリドの街って坂が多くて石畳で小道がいっぱいあって、なんだか神楽坂を思い出すなぁ。



湖を臨むカネヨ教会


湖のほとり。冬だからだれもいませんよー。

マケドニアのビール


めっちゃおいしかったサラダ。ぱんもふっくら。

やっぱ湖畔では魚ですか?


スコピエ市内もちょっとはずれるとのどかですね。おじさんが話しかけてきたんだけど、おじさんは犬を連れていた。犬をさして「あいつはバカボンだ」と言っていた。バカボンというのは「犬」をさしているのか、はたまた犬の名前なのか不明だが、おじさんが犬を「ほら、バカボンおいで!」と呼ぶと犬が寄ってくる。名前なのかなぁとおもったら、2匹目の犬がいて、「こいつもバカボンだ」と言っていた。うむ。


村の素朴な教会


そういえば、この街でも働く中国人青年に会いました。21歳で海外で経験を積むためにでてきたのだそうだけど、なかなかうまく行かなくて行き詰まっているらしい。さらっと話して帰ろうとしたら、「帰らないでっ!もう7ヶ月も中国語で話していないんだよ。中国語で話していたら、いろいろな思いがこみ上げてきちゃった。お願い、もうちょっと話しよう!!」と懇願され、1時間ぐらい話していた。稼ぎにきている中国人ってヨーロッパだとどこにでもいると思いますが、大都市やすごい先進国以外のところにいるとわりと人数も少なく、無性にさみしいのかもしれませんね。がんばるのだよ。

スコピエ

マケドニアへはいるのはサラエボから夜行バスを利用したのですが、これがまた。バルカンでは一般的にどこにいってもスパスパタバコをみ〜んながすいまくっているので、常時尋常じゃなく煙いのですが、夜行バスでは死にました。まず運転手、すい過ぎ。そして乗客も遠慮なく吸いまくり。みんなチェーンスモーカーでバスの中は走り出すや否やモクモクなってしまい、嫌な予感はしたのですが、煙すぎてなかなか眠れず。通常の煙さのときに寝て(そのときのレベルも結構煙い)、あまりにも集中してみんな吸っていて煙がさらに濃くなってくると苦しくなって起きてしまう、というのの繰り返し。タバコが苦手な人はバルカンはちょっとそういう部分ではつらいかもしれませんね。気を使ってくれる人など皆無ですからー。しかも雪のため、通常12時間のところ15時間もかかってしまった。窒息するかと思ったぞ。


スコピエの旧市街はムスリム色が強くてかわいかったです。


なぜかアルバニアの国旗が。アルバニア系住民がこの地区は多いのかなぁ。モスクもこのように本堂は普通の家っぽくてにょきっとした塔のおかげで「ああ、モスクなのね」とわかるようなモスクがバルカンには結構あちこちにあった。


ガス屋さん


雑貨屋さん


バナナ屋さん


オリーブ屋さん


ケバブ系のお店もひしめいています。


でも新市街へ行けばこんなかんじ。

クロアチアの友にお世話になる

中学生のときユーゴスラビア人(←当時)のペンフレンドがいて、しょっちゅう文通をしていました。彼女からの手紙がいつも楽しみで、遠くはなれていても、昔から知っている友達ような気分もしていました。そんなにしょっちゅう手紙をやりとりしていたのですが、高校生になり、私はメキシコに行って当地の生活に夢中&精一杯だったころ、彼女から手紙が届きました。「国が大変なことになりました。国にいては危険なので、イギリスに避難します」とありました。そうです、丁度ユーゴ内戦になってしまっていたのでした。(写真はSisakの町中の遺跡)

その後私も彼女に手紙をかいてもちゃんと届くんだろうか?という思いになってしまい、お互いに音信不通になっていたのだが、彼女がイギリスから戻った時、また手紙をくれました。「国に戻りました。でも、いままでは、ユーゴスラビアと手紙にかいてもらっていたけど、これから私宛に住所を書く時はクロアチアと書いてください。」と書いてあったのを覚えている。その手紙に書かれた彼女の自分の住所のCROATIAという文字が、ボールペンで、大きく力強くあまりにも念を入れて書かれているような感じが伝わって、一体彼女に何があったのだろうと不安な気持ちになりながらも、自分の海外生活に精一杯で、当時はユーゴ情勢があまりにも遠く感じてしまっていました。(写真はザグレブの中心部)

その後、長い年月が流れ、お互いに音信不通になりつつあったのですが、今回中欧に行くことを決めて、思い切って13年ぶりぐらいに彼女に手紙を書いてみたのです。CROATIAとかかれた手紙がみつからなかったので、だめもとで、ユーゴスラビアの時の住所の国名をクロアチアとだけ変えて出してみました。まぁ、もう彼女も30過ぎだし、人生変わっているだろうし、こんな昔の住所にだしても届かないだろうなと、どっちかというと思ってはいたのですが。

しかし日本を発つ2日前に、私が書いた手紙のメールアドレスをみて、彼女がメールをくれたんです。どうやら手紙は無事に彼女のご両親のお家にとどいたようで、お母さんが今の家にとどけてくれたんだそう。ご両親のお家からそう離れていないところに今も近所の人と結婚して住んでいた彼女。子供も2人いて新しい家族ができていたけど、是非、会いたいからうちに来てほしい、とのこと。

というわけで、彼女のうちですっかりお世話になってしまいました。彼女のお姉さんの旦那さんの誕生日パーティーや、ご両親の家にもおじゃましたり、もりだくさんの楽しい家族生活を見せてもらいました。彼女のうちはSisakという街なのですが、サラエボまでいっしょに遊びに行ってくれたり・・・。写真は、ちょうどクリスマスから4週間前の日曜日だったので、4本のろうそくの1本目に火をつける日でした。子供がつけたがっていたのですけど、結局火が怖かったみたい。

お家でも、ご家族の家でもいろいろごちそうになったのですが、写真を撮らなかったのでレストランのみ。ザグレブの中心部の老舗に連れて行っていただきました。

これがクロアチアの伝統料理だよ!といって出してもらったのですが、あまりにも肉肉肉肉・・・で、しかも味付けがとてもしょっぱく、どうがんばってもちょっとしか食べられませんでした。自分の国の伝統料理で、自分たちがおいしい料理だと信じてすごくもてなしてくれているのに私が食べないというのはとてもがっかりしたと思うので、本当に申し訳なくて申し訳なくてたまらなかったのです。ある一線を越えたら意識を失いそうなところまではいただきました。あんまり進まない私にちょっとがっかりした友達の顔がつらかったです。ごめんね。

クロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナの国境のボスニア側でも銃根の残る家々を見ましたが、こちら、クロアチア側にもまだまだありました。私のこの友達の家もガレージにぼっかり穴があいていたり。5件先の家は上からの爆弾でこっぱみじんになって一家3人即死だったとか。今は家が粉々になったままでした。戦争はお互い傷つけ合うだけですね。

これは、なんかの「根」らしいんですが、子供が咳き込んだときに、これをくりぬいてそこにはちみつをいれ、そのはちみつにこの根のエキスがしみ出た頃、はちみつをすくって子供にのませていました。この辺の他の国でもそうなのかなぁ。
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HN:
ばぁ茶ん
性別:
非公開
自己紹介:
そのへんのオババ。
高校はメキシコ。
韓国や中国に仕事で在住。
その後東京へ舞い戻っております。
地球を90カ国ぐらいウロつく。
■感謝
2006年

地球のほほえみ 臼井純子写真展

2007年
家族のほほえみ 臼井純子写真展

キイトス茶房様にて開催致しました。皆様のお陰で、無事に終了することが出来ました。本当に有り難うございました!!
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